『iモード』ネーミング秘話。

1997年4月に開発がはじまったiモードだが、ネーミングは難産となった。サービスのネーミングについてはまず社内でブレストをして、「モバイル」の「モバ」を使ってみてはどうか、というアイデアが出た。サービスそのものは「モバ」という接頭語に何でも置き換えられるという意味で「*(アスタリスク)」をつけ「モバ*(モバスター)」という名称にして、モバイルバンキングを「モバンク」、ゲームを「モバゲーム」*1といった具合に派生させていく、というもの。今改めて考えてみるとそんなに悪くないのだが、今と違って当時「モバイル」という単語は世の中にほとんど認知されていなかった。また「モバイル」も「スター」も単語として男性的、先進的で堅いイメージがある。女性やネットを使ったことのないユーザーにも受け入れられるような柔らかいネーミングに真理さんはしたいと思っていたため、とりあえず商標登録出願だけして*2引き続き考えることにした。この頃97年の10月ぐらいである。

社内の次は電通博報堂といったいわゆる広告代理店にアイデアを出してもらうことにした。何案も何案も出してもらい、代理店と幾度となくブレストをしたが、真理さんが首を縦に振るようなアイデアはついに出てこなかった。代理店から出てきたアイデアで覚えているのは「ダイナリー("大なり"から)」「AZBY("AtoZ、BtoYから)」「オスカル("ベルばら"から?)」といったようなもの。確かに今見てもいまいちだ。そうこうしているうちに年が暮れてしまった。

社内やコンテンツプロバイダへの提案資料では「携帯ゲートウェイサービス(仮称)」というのがずっと使われていた。夏野さんは提案先から何度となくサービス名を聞かれいい加減シビれをきらしながらも、真理さんが納得するまでやってください、と一任して、真理さんと僕とでうんうん考える日々が続いた。

真理さんがニューヨーク出張から帰ってきたある日。確か98年の2月か3月ぐらいだったと思うが、虎ノ門にある本社から神谷町のオフィスまで真理さんと歩いている時に、突然「栗ちゃん、アイよ!やっぱりアイがいいわ!」と真理さんが言った。真理さんは自分の頭の中ですべての世界が完結しているので脈絡なく唐突に話がはじまるのだが、この1年真理さんとずっと一緒に仕事をしてきた僕はさすがにこれに慣れていた。これを夏野さんは「翻訳スキル」と呼んでおり、真理語の翻訳スキルはゲートウェイビジネス部ではかなりの必須技能である。ドコモの他部署の人やメーカーの人はこの真理語に相当悩まされた。それはさておき、ネーミングのことだ。聞けば真理さんは海外出張でインフォメーションカウンターに「i」のデザインがアイコン的に使われていることに着想して、新サービスのネーミングは「i(アイ)」がいいと言うのだ。もうすでに真理さんの中では「i」をアイコン化したイメージまで浮かんできているらしい。

確かに「i」にはいろんな意味が込められるし、コンシェルジュというサービスコンセプトにもしっくりくる。端末に「i」のアイコンが入っている姿も想像できる。僕は諸手を挙げて賛成したのだが不安もあった、というのもドコモはもともと通信キャリアで伝統的にセンスがない部類の会社である。サービス名を「i(アイ)」にしたら間違いなく「iサービス」と言ってしまうだろう。それはちょっとダサい。それに百歩譲ったとしても「i(アイ)」だけではあまりにも一般名称かつ短いため、現実的に商標が取れないのである。ということを真理さんに伝えたところ、「じゃあ、栗ちゃんが考えて」となった。

「i」は決まった。あとは「i」という単語に何かしらプラスすればいいのだ。それから毎日、ネット、広辞苑、英和辞典などから単語を拾い出しては「i」と組み合わせて検討する日々がはじまった。毎日、その日考えた中でベストな案を真理さんに提出していく。2週間ぐらいボツを食らい続けただろうか。飲み会で聞いた「お疲れモード」という「モード」と「i」を組み合わせたものを真理さんに提出した時、初めて真理さんが首を縦に振ったのである。ネーミングの検討を開始してから半年以上経っていた。

iモードの名称の由来は後に真理さんが「私(I)のi、インフォメーションのi、インタラクティブのi、インターネットのi、に由来している」と語っているが、経緯的にはこのようにして生まれた。ネーミングには「濁点」か「半濁点」が入っていると引っ掛かりがあって印象に残りやすい、日本人は俳句・短歌文化由来で5文字か7文字が馴染みやすい、と真理さんが教えてくれたネーミングのコツに「iモード」がともに当てはまっているところもよかったのだと思う。それに加えて、真理理論によれば名前から受けるイメージはその「音(おん)」によるところが大きいとのこと。具体的な例を挙げてみると、

子音がmの擬音には
まんまん
むんむん
むくむく
めろめろ
もりもり
などがあるが、共通するイメージは「肉感的」である。

子音をsにしてみると
さらさら
さくさく
しんしん
すやすや
そよそよ
で「爽やか」「静的」なイメージを受ける。

rだと
らんらん
りんりん
るんるん
など「弾んだ」「丸い」イメージがする。

真理さんはiモードのコンセプトとして「デジタルだけどあたたかいもの」とつねに言っていた。iモードという名称に肉感的な「m音」が入っているというのもポイントだったのだろう。いずれも後付けといってしまえば後付けかもしれないが、「とらばーゆ」を初めとする真理さんのネーミングノウハウの蓄積が真理さんの「直感」という形で働いて生まれたものなのだ。

iモード」という名称が決まって数か月後、僕は真理さんの「直感」の凄さに驚愕することになる。1998年5月11日、アップルが『iMac』を発表したのだ。その後『iPod』を経て『iPhone』になったのは周知のとおり。全く同時期に生まれた2つの「i」、今振り返ってみると非常に感慨深い。

*1:あれれ?どこかで聞き覚えのある名称だ(笑)

*2:iモードが決まったのでその後手放したと思う