夏野さんがやってきた。

iモードの開発をはじめて3か月経った97年7月、夏野剛さんがチームに加わる。夏野さんと初めて会ったのは広尾のイタリアンレストラン「イル・ブッテロ」でだった。最初から最後までまくしたてるように自分のアイデアを話し続ける夏野さんは、真理さんとはまた違った意味で今まで出会ったことのないタイプの人で、ただただ圧倒された。新入社員に毛の生えた僕ですらそうだったのだから、ドコモのほとんどの社員の人は夏野さんにカルチャーショックを受けたに違いない。夏野さんは今のような毒舌キャラではまだなく、眼鏡をかけた細面で柔和な人だが話し出すと止まらない、という感じだった。

夏野さんはハイパーネットというインターネット広告会社の副社長をしていた。インターネットに接続するにはプロバイダ契約が必要だが、ハイパーネットはユーザー属性を把握しユーザーにあったターゲティング広告をブラウザに表示することで無料でインターネットを使える、というビジネスモデルを構築し、ニュービジネス協議会から「ニュービジネス大賞」および「通商産業大臣賞」を受賞したサービス「HotCafe」を展開していた。今も続くネット広告の先駆けであり画期的なサービスだったのだが、残念ながらあまりにも早すぎた。まだまだネット広告市場は小さく成長も緩やかだったのだ。また、ハイパーネットのブラウザをユーザーが自らインストールしなければいけない、という点でユーザーのハードルも高かった。奇しくもマイクロソフトWindowsInternet Explorerをプリインストールすることで一気にNetscape Navigatorを駆逐している時期でもあった。もしハイパーネットのブラウザがOSにプリインストールされることがあれば話は違っていたかもしれない。

ハイパーネットはその後97年12月に倒産することになる。ハイパーネットについては社長の板倉雄一郎氏が『社長失格 〜ぼくの会社がつぶれた理由〜』を書いており、おもしろいので興味ある方は一読されたし。

社長失格

社長失格

夏野さんはハイパーネットで苦労していただけに、携帯電話でインターネットネットサービスという着想は目からウロコが落ちる思いだったらしい。つまり、まだまだ普及していないPCに比べて携帯電話は1人1台持っていること、常時接続でありネットにつなぐのにいちいち回線接続しなくてよいこと、ブラウザがOSにプリインストールされていること、ドコモというキャリアが行うことで回線から端末、サービスまで垂直型のビジネスモデルが構築できること、料金を電話代と併せてユーザーから徴収できることでユーザーのエントリーバリアが低いこと、などなどハイパーネットでの課題をすべて解決できる可能性に充ちていたからである。

夏野さんはもともと新卒で東京ガスに入社していただけに社会インフラを構築したい、という思いが強い人である。出会ってすぐに「ハイパーネットでビルゲイツに会ったときに、ウォレットPC(つまりオサイフPC)をやるべきだという話をしたのにいまいちウケが悪かった。俺は携帯電話でウォレットケータイを実現したいんだ」「ゆりかごから墓場まで。生まれた時に携帯電話の番号が振り当てられて、死ぬ時にオールリセットできたらおもしろい。」といろいろ夢を語ってくれた。それから7年後の2004年、おサイフケータイで夏野さんはその夢を見事に実現する。

夏野さんというビジネス戦略とアライアンスの達人がチームに加わることで、iモードの開発はいよいよ本格的に動き出した。