ワクワク感と飽きについて考えた。

おもしろいことが減った、という話を最近よく聞く。昔のテレビはおもしろかった、昔のゲームはおもしろかった、昔のケータイはおもしろかった。人は好奇心の塊なので、好奇心を満たしてくれるような未知の刺激に対してビビッドに反応する。それが自らも成長している思春期に接したものであるならばなおさらだ。さらに人は「成長するもの」に接したり、見たりすることが大好きだ。映画でも小説でもマンガでも人の成長は大きなメインテーマだし、ゲームでキャラクターやユニットを育てていくことに多くの人が熱中する。エッチすることを楽しいと感じなければ人類が絶滅してしまうのと同じ本能のレベルで、人は成長することを楽しいと感じるがゆえに子供を育てられる。

テレビやゲームやケータイを楽しいと感じたのは、それぞれが持つエンターテイメント性や個々のコンテンツを楽しいと感じたのはもちろんだが、その業界が成長する様そのものに触れることにワクワクしたのではないだろうか。ただ残念なことにこれらの業界は成熟してしまった。今までにないおもしろさの個々のコンテンツが登場することで盛り上がることはあっても、成長する業界が放つ眩しいばかりの魅力を感じることはできない。

未知の刺激に対して人間は慣れてしまって最終的には飽きる。人間が飽きる時というのは「知識と経験の蓄積によって対象を理解した時」である。人間は分からないことに対して「それはどういうことなんだろう」と好奇心を持つ。分からないからこそ気になるしおもしろい。分かってしまえば好奇心を失って飽きるのである。だいたい名作と言われるコンテンツは人間の本能を忠実にくすぐる王道のタイプの作品とよく分からないタイプの作品の2つのタイプにわかれる。そういう点で『エヴァンゲリオン』は分からないからこそおもしろい作品の代表例だといえよう。*1最近だと『進撃の巨人』もまさにこのタイプだ。男性が女性に、女性が男性に惹かれるのも「分からないから」であり、「相手のことが分からない」といって相手を責めるのはお門違いだといえよう。*2

ネットの普及によって業界が成長して成熟するスピードは格段にあがった。ネットを介して大量の情報を得ることができるので多くの人が「分かってしまう」もしくは「分かった気になってしまう」からだろう。だからこそ、これからはより「分からない」もしくは「ままならない」ということがキーワードになっていくと思う。

僕が何十年と続けていて飽きない趣味のひとつが「スノーボード」でもうひとつが「競馬」だ。スノボは当初はオーソドックスに自分の技術が上達することが大きなモチベーションだったが、今は最高なコンディションで滑ることに変わっている。新雪のパウダーをよく晴れた早朝に滑り降りることが最高の喜びなのだが、こんなによい条件に出会うことは1シーズンに1回あるかないかであり、まさにままならない。競馬は馬が仔馬から成長して親になり子孫に繋がっていくのを楽しめるという点では成長ドラマなのだが、馬券を当てるということになると予想という知的ゲームであり、当てるだけでなく儲けるということになると投資である。どれだけデータを集めても当たらないときは全く当たらない。まさに「分かる」に永遠に至らないゲームである。

おじさんの趣味といえば昔から野球観戦に釣りが定番だが、どちらも結果が分からなくてままならないものだ。*3自身が成長してしまった後に、スポーツや自然相手の趣味に行きつく、というのはひとつの真理なのかもしれない。

*1:ここまでいくと作っている庵野監督自身ですら分からないのではないかとさえ思える。

*2:僕は最高の女性というのは一緒にいてもいつまでも飽きない女性だと思っている。

*3:野球と釣りが趣味といえば糸井重里氏が真っ先に思い浮かぶ。