なぜ、そしてどのように絵文字はつくられたのか。

先日nanapiの海外向けメディアである「IGNITION」に表題のインタビュー記事が掲載された。このブログでもたびたび書いているように一昨年から昨年にかけて海外で絵文字の利用が爆発的に広がって、日本では今頃と感じるだろうが、海外で絵文字はまだホットな話題だからだ。

海外向けメディアということで全文英語の記事なので、以下に日本の方向けとして日本語訳を記載しておく。


なぜ、そしてどのように絵文字はつくられたのか。
栗田穣崇へのインタビュー

emoji 名詞 (複数形 emojiまたはemojis)

小さなデジタルイメージまたはアイコンでデジタルコミュニケーションにおいて感情や考えを表現するもの。
笑った顔の絵文字を使うとメッセージが楽しくなる。

由来
1990年代の日本で生まれた。e=絵+moji=文字、文という意味
(オンラインオックスフォード辞典より)

20世紀の終わりに日本で生まれた絵文字の原型。その最初の絵文字を生み出したのが、世界初のモバイル・インターネット・プラットフォームの立ち上げに関与していた、栗田穣崇だ。

1999年、日本で生まれたこのモバイル・インターネット・プラットフォームは、iモードという。栗田は日本最大手の携帯通信事業者であるNTTドコモiモードのプロジェクトチームに所属していた。iモードは当時日本で広く使われていたフィーチャーフォンでインターネットサービスを提供しようとするものだった。1999年当時のフィーチャーフォンの液晶画面はモノクロでとても小さく、48文字しか表示できない程度の大きさだった。

栗田は、このフィーチャーフォンの限られた画面スペースで情報やコンテンツを届けるには、絵文字がないと正直きびしいと思ったという。「iモードに先駆けて、AT&Tがテキストオンリーの情報サービスを携帯でやっていたので使ってみたら、天気予報も全部文字でfineとかって表示されていたので、分かりにくい!と思ったのです。日本のテレビでは天気予報が絵で表示されていて、それに慣れていたので、太陽の絵の晴れマークとかが欲しいと思いました。」

栗田はNTTドコモで店頭での販売経験があった。「僕がポケベルを売っていた時、ハートの絵文字を使うことがポケベルユーザーの間でとても人気だったのです。だから、ハートみたいな感情を表現できるものを追加することが、iモードではキラーになるんじゃないかなと思って。だから僕のほうからどうしても絵文字が欲しいと提案しました。企画者も当時は少なかったので、じゃ作って?っていう感じで僕が作ることになりました。」

とはいえ、iモードのリリースまでの時間は限られていたため、栗田は1か月の間に、人類史上最初の180の絵文字をすべて考えることになった。まず、最初の10日間、人間にどんな感情表現があるか知るため、街に出て人間ウォッチングをした。また、街にあるもので記号としてあったほうがいいのはなにかをリストアップするため、街にあるものもウォッチングした。

「最初は、いわゆるにこにこした顔とか5、6種類くらいの顔を考えつきました。最終的にはデジタルにするためドットをうたなくてはいけないので、デザイナーに依頼するのですが、絵文字自体が世の中になかったのでこちらからこういうのでつくってくださいと、自分で実際に絵をかいて、デザイナーさんにお願いしていました。」

絵文字の原案をつくるにあたって、なるべく多くのひとに使ってもらえるよう、わかりやすさや普遍性を意識したという。「新しく文字を作ろうと言う意識ではやっていました。どちらかと言うと絵というよりも文字を作るつもりでやっていました。」

栗田が絵文字を考案するため、お手本にしたアイデアソースは大きく2つある。一つはマンガだ。マンガの中には、「漫符」という、独特の記号表現がある。汗を表した水滴のマークを顔に描くことで「焦り」や「困惑」を表現したり、キャラクターの頭の上に電球マークを描くことで「ひらめき」を表現したりというものだ。栗田は、iモードユーザーとなる人たちが共通して理解できるような漫符を、マンガの中からピックアップしていった。

もう一つはピクトグラムだ。ピクトグラムは公共空間で情報や注意を促すために表示されるサインのことだ。男性・女性を記号化したトイレのマークや、走って逃げる人の非常口のマークなどが代表的だ。栗田によれば、ピクトグラムが広まった一つのきっかけは、1964年の東京オリンピックだという。東京オリンピックのデザイン専門委員会委員長を務めた美術批評家の勝見勝氏は、日本語の表示しかなかった各施設を、外国人にもわかるようにどうやって表示したら良いのかということが論議された際、絵で表示することを提案した。この提案を受けて、勝見氏のもとで、多くのピクトグラムが若手のデザイナーたちによって考案された。東京五輪の各競技種目も、このときピクトグラム化され、五輪競技がピクトグラム化される先駆けとなったという。

日本に生まれ、日本に縁が深いと思われる絵文字だが、日本的というよりもネット的なものだと、栗田はいう。「ネット上でテキストを使ってコミュニケーションするにあたって、やっぱり絵文字があると便利ですよね。テキストだけだとどうしても感情がみえないので。いままで手紙があって、次に電話があって、その次に電子的なメッセージが増えてきて、その流れで、感情が表現できる文字が必要になったということだと思う。ただ、日本には漢字という、表意文字がもともとあって、そういう土壌があったのだと思う。」

日本では、iモードの誕生で、絵文字は2000年頃から広く親しまれていた。それから遅れること約10年、iPhoneなどのスマホの普及で海外でも急速に広まった。このタイムラグは、ハード面の展開の違いが影響しているという。「日本でフィーチャーフォンと言われている物の海外版には、絵文字は入っていなかった。絵文字が搭載されている端末が無かったのが理由で、海外の人たちは、スマホで絵文字デビューしたのだと思う。日本人がiモードで絵文字使い始めたときに、何これ!って思った感覚を、海外の人はここ数年で体験をしているのじゃないかなと思います。絵文字を楽しんで使ってもらいたいですね。」